ルカ4・16-30
神のいるところには憎しみも、やっかみも、妬みもなく、兄弟を生殺しにするあぁした陰口も存在しない。聖マルタの家に月曜日、フランシスコ教皇は様々なグループと共に捧げるミサを再開し、その中でこのように語った。
「でも見てください。コロッと出来事が変わっています。 美しく始まりました。感嘆しながら。そして犯罪者を扱うように終わっています。イエスを殺したがっています。これは妬み、やっかみ、こうしたことすべてによります。これは二千年前に起こったことではありません。わたしたちの心の中で、わたしたちの共同体の中で毎日起こることです。共同体の中で、『あぁ、うれしい、こんな人が来てくれたんだ!』と言われることがあります。最初の日はよく言われます。けれど、二日目、三日目、と日を重ねていくうちに噂をし始め、仕舞いには皮をはいでいきます」。
そのように、ナザレの人たちも「イエスを殺したがっていました」。
「けれど共同体の中で兄弟や共同体のメンバーの悪口を言う人たちは、殺したがっているのと同じなのですよ!使徒ヨハネは、その第一の手紙の第3章15節でわたしたちにこう語っています。『兄弟を憎む者は皆、人殺しです』。わたしたちは陰口やうわさ話に慣れ親しんでしまっています。何度自分たちの共同体や、家族までもが、こうした言葉で兄弟や姉妹を殺すという犯罪が生まれる地獄になっていることでしょう!」
「一つの共同体、一つの家族、これが悪魔が人の心に植え付け、他の人を悪く言い、そうして破滅するようにとする、このような妬みによって崩れるのです」。「ここ数日、わたしたちは平和についてたくさん語っています」。武器の犠牲者になっている人たちを見ています。けれど同時にわたしたちの日々の武器についても考えなければなりません。「舌、陰口、噂話」。どの共同体も、そうではなく、主と共に生き、「天国にいるかのように」あるべきなのです。
「共同体や家族に、一つの国に、世界に平和があるためには、こうしたことから始めなければなりません。主と共にいること、です。そして主がいるところには、妬みも、犯罪の可能性も、憎しみも、やっかみもないものです。そこには兄弟愛があります。これを主に願いましょう。決して隣人をわたしたちの舌で殺さないように、主と共にいて、皆共に天国において彼と共にいるように生活できるように。なれかし(アーメン)」。
(RC-RV)
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