2014年1月7日火曜日

1月1日(水)、お告げの祈り:贖い主の母であるマリアの手に子としての信頼をもってわたしたちの希望を据えること




愛する兄弟姉妹の皆さん、おはようございます、そして明けましておめでとう!

 新年の初めに、平和とあらゆる善を求めながら皆さんに祝福のあいさつを向けます。わたしの願いは教会の願いです。それはキリスト者の願いなのです!今始まる年の循環は、すこし魔術的であったりすこし宿命論的であったりする意味とは関係がありません。わたしたちは、歴史にはその中心があると知っています。それはイエス・キリストです。受肉され、死に、復活し、わたしたちの間で生きておられる方です。目標地点があります。神の国、平和の国、正義の国、愛における自由の国です。そしてその目標地点に向けてこれを動かす力があります。それは聖霊の力です。

 わたしたちには皆、洗礼において受けた聖霊があります。聖霊はわたしたちが、キリスト者としての生活の歩みにおいて、歴史の歩みにおいて、神の国に向かって前進していくようにと内側から促します。この霊はおとめマリアの母体で培われた愛の力です。そして平和の建設者すべての計画と働きを励ます方そのものなのです。

 平和の建設者である男性、あるいは女性のいるところに、まさにその場所に彼らを助け、内側から促して平和を建設するようにとする聖霊がいるのです。

 今日、二つの道が重なっています。神の母聖マリアの祭日と、世界平和の日です。八日前に、天使のお告げが響き渡りました。「神に栄光、人に平和」と。今日改めて「これらのことをすべて心に収め、心の中で思いめぐらしていた」イエスの母からこれを迎え入れ(ルカ2章19節)、ここから開かれる年の道のりにおいてわたしたちの努力をしていきます。

 今回の世界平和の日の題名は「兄弟愛、平和のための根本と歩み」です。
 兄弟愛。パウロ六世に始まって、わたしの前任者たちの足跡をたどりながら、すでに皆さんの手元に渡っており今日理念的に皆さんにお渡しするメッセージの中でこのテーマを繰り広げました。その基礎には、わたしたちは皆、天のただ一人の父の子らであり、同じ人類家族の部分をなし、共通の運命を分かつのだ、という確信があります。ここから一人ひとりに対して、世界が互いに尊敬し合い、その多様性の中で受け入れ愛、互いに守り合う兄弟のひとつの共同体に代わるために働く責任が託されます。また、わたしたちは世界の実に多くの場所に現行する暴力と不正に気付き、これに無関心かつ不動でいられなくなるようにと呼ばれています。本当により正しく連帯に満ちた社会を作るために全員の努力が必要とされています。

 昨日、一人の男性から手紙をいただきました。おそらく皆さんの中にいらっしゃるのでしょう。彼は家庭における悲劇について語り、引き続き、今日の世界におけるあまりに多くの悲劇や戦争のリストを挙げていました。そこでわたしは自問していました。こんなにも多くのことをしている世界で、今日何が起こっているのだろう?そして、最後に言いました。今こそ立ち止まる時だ、と。わたしも、この暴力の道において立ち止まり、平和を探すのは良いことだと思います。

兄弟姉妹の皆さん、
 この方の言葉をわたしの言葉にします。人々の心の中に何が起こっているのでしょうか?人類の心に何が起こっているのでしょう?今こそ立ち止まる時です!

 世界の隅々から、今日信者たちは主に平和の恵みとこの平和をそれぞれの環境に持ち運ぶ能力の恵みを求めるために祈りをささげます。この信念の最初の日に、わたしたちが正義と平和の道をより確かな決断を持って歩んでいくことができるよう支えてくださいますように。自分の家から始めるんですよ、いいですか!家に正義と平和を。わたしたちの間でですよ、いいですか!家の中で始められ、その後前進していき、全人類へ、けれど家の中で始まらなければなりません。

 聖霊が心の中で働き、閉じた扉と心の硬さを解き、わたしたちに幼子イエスの弱さを前にやさしくなれる恵みを下さいますように。平和は、実際、大人しさという力、真理と愛の非暴力的な力を不可欠としているのです。

 贖い主の母でありマリアの手の中に、子どもとしての信頼を持ってわたしたちの希望を据えます。すべての日とにその母性を拡げてくださるマリアに、戦争と暴力によって抑圧されている国々の平和を求める叫びを委ねます。そうして対話と和解の勇気が復讐や権力誇示、汚職の誘惑をうちはらってくれますように。教会によって告げられ、証しされた兄弟愛の福音が一人ひとりの両親に語りかけ、敵対者が兄弟であることを認めるのを妨げる壁を打ち崩してくれるように、マリアに願いましょう。

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