2020年12月30日水曜日

使徒的書簡『父親の心で』 1.愛された父親



 聖ヨセフの偉大さは、マリアの夫、イエスの父親であったという事実にあります。そのようなわけで、聖ヨハネ・クリゾストモが言っているように、「(ヨセフは)受肉の仕組みすべてに奉仕する形で携わるようになりました」[1]

 聖パウロ6世は、ヨセフの父性は、具体的に「その人生を、奉仕そのものにし、受肉の神秘と、それと一つになっている贖いの使命に捧げた時、聖家族の中で彼に帰する法的な権威を、自分自身や自分の生活、自分の仕事を完全な賜物とするのに利用した時、自らの人間としての家庭内の愛という召命を、自分自身とその心、自分の家に生まれた救い主に奉仕することに置かれた愛におけるあらゆる能力を超自然的な捧げものにした時に示されました」[2]

 その救いの歴史における役割があって、聖ヨセフは父親としてキリスト教国でいつも愛され続けてきました。それは全世界における数多くの教会堂がヨセフに捧げられているという事実や、多くの修道会や兄弟的共同体、教会グループがその霊性からインスピレーションを受け、その名を掲げている事実、何世紀も前から様々な聖なる催しがヨセフをたたえて祝われているという事実に示されています。多くの聖人聖女がヨセフに対して大いなる信心を抱いていました。その中でもアヴィラの聖テレサは、ヨセフを弁護者、取次手としてとらえ、ヨセフに多くのことを委ね、ヨセフにお願いしたあらゆる恵みを受けました。その経験に励まされて、聖女はほかの人々にもヨセフに対する信心を持つように説得したものでした[3]

 あらゆる祈りの本に、聖ヨセフに対する何らかの祈りが載せられています。水曜日ごとにヨセフに向けられた具体的な祈り、特に3月いっぱいの、伝統的にヨセフに捧げられた祈りがあります[4]

 聖ヨセフに対する人々の信頼は、「ヨセフのところに行きなさい」という表現にまとめられます。これは、エジプトを飢饉が襲ったときに、人々がファラオにパンを求め、彼が「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおりにせよ」(Gn 41,55)と答えたことに関連しています。このヨセフというのは、ヤコブ(イスラエル)の息子ヨセフのことです。妬みのために兄弟たちが売りに出そうとし(cf. Gn 37,11-28)、聖書の話によれば、後にエジプトの大臣になったあのヨセフです(cf. Gn 41,41-44)

 ダビデの子孫として(cf. Mt 1,16.20)、預言者ナタンによってダビデになされた約束に従えばその根(末裔)からイエスが芽を出すことになっていたわけですが(cf. 2 Sam 7)、ナザレのマリアの夫として、聖ヨセフは旧約と新約のつなぎの部品のような役割を果たしているのです。



[1] In Matth. Hom, V, 3: PG 57, 58.

[2] Homilía (19 marzo 1966): Insegnamenti di Paolo VI, IV (1966), 110.

[3] Cf. Libro de la vida, 6, 6-8.

[4] 毎日、40年以上、朝の祈りの後で、私はイエスとマリアの修道女会の、19世紀のフランスの信心本からとられた、ヨセフに対する信心や信頼、そしてある種の挑戦を表現する、次のような聖ヨセフへの祈りを唱えています。「栄光ある父祖聖ヨセフ、あなたの力によって不可能なことを可能にすることができます。この苦悩と困難の時に、私を助けに来てください。あなたに信頼するこれほどまでに重大で困難な状況をあなたの保護のもとで受け留め、よい解決をもたらしてください。私の愛するお義父さん、私はあなたに全幅の信頼を寄せます。誰にも、あなたに呼びかけるのが無駄であったと言わせないようにしてください。あなたがイエスやマリアに対してすべてのことを行うことができるのと同様に、私に、あなたの善意があなたの力のように偉大であることを示してください。アーメン。」

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