2020年12月30日水曜日

使徒的書簡『父親の心で』 6.労働するの父親

 


 聖ヨセフの特徴を表し、最初の社会回勅、レオ十三世の『レールム・ノヴァールム』の時代から強調されてきた一つの局面は、ヨセフの労働との関係です。聖ヨセフは、家族の生計を成り立たせるために正直に働いていた大工でした。ヨセフから、イエスは、自分の労働の実りであるパンを食べるということの意義に見られる価値、尊厳、喜びを学びました。

 わたしたちのいる現代というのは、労働がまるで緊急の社会問題を代表するようになり、時に無職がものすごいレベルにまで達する時代にあり、しかも何十年もの間ある程度の生活の安定を体験してきた国々においてすら、意識を新たにして尊厳を与え、わたしたちの聖人(ヨセフ)が模範的な保護者である労働の意味を理解する必要があります。

 労働は、救いのわざそのものへの参与、自らの可能性と質を社会と交わりへと奉仕させつつ発展させるために、御国の到来を早めるための機会となります。労働は、自分自身のためだけではなく、何よりもその社会の起源的な核である家族のためにも自己実現の機会となります。労働に欠ける家族は、より多く困難や緊張、断絶、さらに絶望的で崩壊という絶望をもたらす誘惑にさらされています。全員、そして一人一人が尊厳ある生活条件の可能性を持てるように献身することなくどうして人間の尊厳について語ることなどできるでしょうか。

 労働する人は、その務めが何であれ、神ご自身に協力し、わたしたちを取り囲む世界の創造者に少しだけなります。わたしたちの生きる現代の危機は、経済危機、社会危機、文化危機、霊的な危機とありますが、全ての人に対して、誰も除外されたままではない、新しい「日常」に場をゆずるための労働の意義、重要性、必要性を再発見するようにとの呼びかけを代弁し得るものです。聖ヨセフの仕事は、人となられた神ご自身は労働を軽蔑しなかったことを思い起こさせます。多くの兄弟姉妹をむしばんでおり、新型コロナウイルスの世界的蔓延によって最近さらに増加をしてきた労働の喪失は、わたしたちが何を優先すべきかについて再考するための呼びかけに違いありません。青年の誰も、どんな人も、どんな家族も、仕事のない状態にありませんように!とわたしたちが言うようになれる道を見出せるように、労働者聖ヨセフに祈りましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿