2013年11月29日金曜日

11月25日(月)、朝ミサ説教:極限の状況においてすら、主に信頼すること


 極限状態においてすら、主に信頼すること、というのが聖マルタの家での月曜日のミサでの勧告であった。パパはキリスト者たちは、あらゆる時代の殉教者たちがわたしたちに教えているように、決定的な選択をするように呼ばれていることを強調した。今日も、わたしたちにとって模範であり、主に完全に信頼するようにとわたしたちを励ます、迫害されている兄弟たちがいる、との見解を述べた。

 「極限状況で」主を選ぶこと。教皇は、ダニエル書からとられた第一朗読と福音がわたしたちに紹介する情景に留まりながらその説教を発展させた。ネブカドネザルの法廷での若いユダヤ人奴隷青年の話と、主を礼拝するために神殿へと行くやもめの話である。双方とも、極限状態である、とローマ司教は述べた。やもめは極貧状態にあり、青年たちは奴隷状態にあります。やもめは神殿の宝としてあったものすべてを差し出し、青年たちはその人生の危機を抱えつつ主に忠実であり続けます。

 「双方とも、つまりやもめたちも青年たちも、危機にさらされていました。その危機の中で主を選びました。広い心で、個人的な関心抜きで、けちな感覚抜きで。そこにはけちな態度はなかったのです。主は、主こそはすべてです。主は神であり、彼らは主に信頼していました。これは力ずくで-言葉を許して下さいですが、狂信的な仕方でなされたわけではありません。違います。「これをわたしたちはしなければなりません」、というのは、違います!それは別のことです。信じられたのは、主が忠実であることを知っていたからです。なぜなら主にはこれを変えることができないからです。いつも忠実なのです。忠実でなくなることができません。自分自身を偽ることはできないのです」。教皇は加えて言った。「この主への信頼が、この主のための選択をするにいたらせるのです。なぜなら彼らは主が忠実であると知っているからです」。それは簡単なことにも大きくて難しい決断にも通じる選択である。

 「教会でも、つまり境界の歴史の中でもこの選択をする老若男女が見受けられます。殉教者の人生を聞いたり、今日のキリスト者に対する迫害についての新聞記事を読んだりするとき、この選択をする、極限状態にいるこの兄弟姉妹のことを考えます。彼らはこの時を生きているのです。彼らはわたしたちにとって模範であり、体験されるためにわたしたちに託されているすべてのものを教会の宝である人々に差し出すようにとわたしたちを励ましています」。

 フランシスコは思い返して言った。「主は、奴隷にされた若いユダヤ人たちを困難から抜け出るのを助け、またやもめは主に助けられます。彼女を見てイエスは賛美し、その賛美の裏には、一人の犠牲者がいるのです。

 「わたしたちの全歴史の中で、今日も、決定的な選択をしているこうした兄弟姉妹のことを考えるのはわたしたちにとって益となります。けれど、家族と共に、子どもたちと共に前進して行くための決定的な選択を日々実現している多くのお母さんたち、家庭の多くのご両親のことをも考えましょう。彼らはわたしたちに証しをしています。わたしたちに証しをしているこれほど多くの人々のために、主に勇気の恵みを願いましょう。普通の、一般的な、日々の状況においても、極限の状況においても、わたしたちのキリスト者としての生活において前進する勇気を」。
(Traducción del italiano: Raúl Cabrera- Radio Vaticano)

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