2013年11月15日金曜日

11月14日(木)、朝ミサ説教:好奇心の精神が神の知恵と平和からわたしたちを遠ざける


 教皇は知恵の書からとられた第一朗読についてコメントをしながら説教を始めた。そこには「霊的な男女と、聖霊の知恵のうちに生活している本物のキリスト者男女の精神状態」を描写している。「そしてこの知恵は知恵ある、聖なる、唯一の、多岐にわたる、賢い聖霊をもってその人々を前進させるのです」。

 「これこそ人生においてこの聖霊と共に歩むということなのです。神の霊はわたしたちが神の心に基づいて判断をしたり、決定を下したりするのを助けてくれます。そしてこの霊はわたしたちに平和をもたらします。いつもです!平和の霊、愛の霊、兄弟愛の霊です。そして聖性はまさにこれなのです。神がアブラハムに求めるのは、「わたしの現存のうちに歩み、咎められるところないものとなりなさい」ということですが、これなのです。この平和です。神の霊とこの知恵の促しのもとに進むことです。そしてそのように歩む男性や女性は、知恵ある男性、知恵ある女性である、と言えるでしょう。知恵ある男性や知恵ある女性であるのは、神の忍耐の促しのもとに動くからです。」

 しかし福音では、「他の精神を前にたたずむわたしたちを見ます。この神の知恵の霊と正反対のものです。それは好奇心の精神です」。

 「そしてわたしたちが神のプロジェクトや未来、物事の主人となり、すべてを知ろうとし、すべてをわたしたちの手の内に取ろうと望む時というのは、どうでしょう。ファリサイ派の人々はイエスに尋ねました。「神の御取りしきりいつ訪れるのでしょう?」好奇心旺盛な人々!その曜日、日付といったものを知りたがっていました。好奇心の精神はわたしたちを知恵の霊から遠ざけます。なぜなら細かい点やニュース、日々の小さなニュースばかりが気になるからです。あるいは、これはどうするとそうなるのか?と。どうすると、というのは、「どうすると?」の精神です!好奇心の精神はあまりよい精神ではありません。それは気を散らす精神で、神から遠ざける精神、おしゃべりの過ぎる精神です。そしてイエスもわたしたちに興味深いことを言いに来ます。この好奇心の精神は、世俗的で、わたしたちを混乱へと導く、と。」

 好奇心は、主がここにいる、あそこにいる、と感じることを望ませる。あるいはわたしたちに「でもわたしは幻視能力者がいることを知っています。マリアさまの手紙をもらう人、マリアさまのメッセージをもらう幻視能力者がいるでしょう」と言わせる。そこで教皇はコメントした。「でも、ごらんなさい、マリアさまはおかあさんです! そしてわたしたちすべてを愛しているのです。でも毎日メッセージを送るような郵便局の所長ではないのです。」「このニュースは、福音から遠ざけます。聖霊から遠ざけます。神の平和と知恵、栄光から、神の美から遠ざけます」。なぜなら「イエスは神の国は興味を引くために来るわけではないと言っているからです。知恵において訪れるのです」。「神の国は皆さんの間にあるのです!』とイエスは言っている。「これこそわたしたちに知恵をもたらし、わたしたちに平和をもたらす聖霊のはたらきです。神の国は混乱のうちには来ません。ちょうど神が突風や嵐の中では語らず、静かなそよかぜ、知恵のそよ風の中で語ったように」。

 「このように、幼きイエスのテレジアは、好奇心の精神を前に、いつも立ち止まらなければならなかったと言っていました。他のシスターと話していたとき、この修道女は家族のこと、人々のことを話していました。しばしば他の話に移ると、彼女はこの話の最後を知りたいと思いました。けれどそれは神の霊ではないと感じたのです。なぜならそれは気を散らす精神、好奇心の精神だったからです。神の国はわたしたちの間にあるのです。変わったことの中に探すものではないのです。こうした世俗的な好奇心の伴うニュースを探すものではないのです。聖霊がその静かなそよかぜである知恵をもってわたしたちを前進させて下さいますように。これこそが神の国の霊、イエスが語っているところの霊なのです。あれかし(アーメン)」。
(María Fernanda Bernasconi – RV).

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