2013年11月4日月曜日

11月1日(金)、諸聖人の祭日説教:自分の人生の夕暮れ時に、わたしの心の錨はどこに降ろされているでしょう?

 
 この時間に、日暮れ前に、この墓地にわたしたちは沈黙の祈りを捧げます。わたしたちの将来のことを考えます。わたしたちから離れて旅立った人々すべてのことを考えます。生きるということにおいてわたしたちに先立ち、今は主のもとにいるすべての人たちのことを考えます。

 第一朗読で今聞いたばかりの天国の様子はとても美しいものですね。神さまである主、美しさ、善さ、真理、温もり、完全な愛。こうしたことがわたしたちを待っているのです。そしてわたしたちより先に歩んだ人たちは、主のうちに亡くなられた方々ですが、そこにいるのです。そして自分たちの業、善いわざをしたから救われたのではなく、主によって自分たちは救われたのだと告げています。救いは玉座に座っておられる神さまに属するものです。そして神さまこそがわたしたちを救う方で、彼こそがお父さんのようにわたしたちの手を引いて、わたしたちの人生の終わりの時に、まさにあの天国に、つまりわたしたちの先祖たちがいるそのところに連れて行ってくれるのです。

 一人のご老人が次のような質問をしました。「白衣のこの人々は誰ですか?この正しい人々、この天にいる聖人たちは誰ですか?」 この人たちは、大いなる試練を越してきた人々で、その服は小羊の血によって漂白され、洗われているのです。天国に入るには、ただ小羊の血のおかげのみなのです。キリストの血のおかげです。まさにキリストの血こそがわたしたちをふさわしく認め、わたしたちのために天国の扉を開いたのです。そしてもし今日、命においてわたしたちに先立って天国にいる、こうしたわたしたちの兄弟姉妹を思い出すならば、それは彼らがキリストの血によって現れたからなのです。そしてこれこそがわたしたちの希望なのです。キリストの血の希望なのです。そしてこの希望はわたしたちを幻滅させません。もし主と共にいのちの歩みを続けるならば、彼は決して幻滅させることがないのです。主は決して幻滅させません。

 使徒ヨハネは自分の弟子たちにこう言っていました。「わたしたちが神さまの子どもだと呼ばれるために父がわたしたちに対して持ってくださった愛がどれほどのものかをごらんなさい」。わたしたちはその通りなのです。だから世はわたしたちのことを知らないのです。わたしたちは神さまの子どもたちなのです。けれど、そうなるとは言ってもまだ示されきっていないのです。それ以上は!キリストが示される時、わたしたちはキリストのようになります。なぜならキリストのありのままを見ることになるからです。神を見ること、神と同じようなものになること、これはわたしたちの希望です。そして今日、ちょうど、諸聖人の日に、亡くなられた方々の記念日の前日に、希望について少し考える必要性があります。この希望はわたしたちの人生の歩みに伴います。初代キリスト者たちは希望を錨にたとえて描写しました。まるで人生が錨であるかのように。あちらの上の方に錨を降ろし、わたしたちは、綱をたぐりながら進んでいくのです。この希望は、美しいイメージです。心の錨をあちら、つまりわたしたちの知り合い、わたしたちの先祖たち、聖人たち、イエス、神さまがおられるところに下ろすのです。これこそが希望です。これこそが幻滅させない希望であって、今日も明日も、希望の日々になるのです。

 希望は魂を育てるイースト菌のようなものです。人生には困難な時もありますが、希望があれば、魂は前進します。前進していくのです・・・。ごらんなさい、わたしたちを待ちうけているあの方を!わたしたちも、あそこにいつかいることになります。ただ純粋に主の恵みによって。もしわたしたちがイエスの道行において歩んでいくならです。

 そして使徒はこう結びます。「主に希望を置く人は自らを清くします」。希望はわたしたちを清めてもくれます。このイエス・キリストにおく希望の清めは、わたしたちの重荷を軽くし、あなたが速く、速く歩けるようにします。

 この夕暮れ前の時間に今日、わたしたち一人ひとりは、人生の夕暮れ時について考えてもいいでしょう。自分の夕暮れはどのようなものになるでしょう?わたしの夕暮れ時、あなたの夕暮れ時、あなたの、あなたの、あなたの・・・誰もが一回その夕暮れ時にまみえるのです。誰もがです!その時を希望をもって見据えているでしょうか?自分はその時を主に迎え入れられるあの喜びをもって見据えているでしょうか?これこそがキリスト者です。そしてこのことはわたしたちに平和をもたらします。

 今日は喜びの日です。けれど落ち着いた喜びの日、静かな喜びの日、平和な喜びの日です。先立たれた多くの兄弟姉妹の夕暮れ時について考えましょう。いつか来るわたしたちの夕暮れ時について考えましょう。わたしたちの心について考えましょう。そして問いかけましょう。わたしの心はどこに錨をおろしているでしょう?もしまだしっかりと錨をおろしていないなら、あちらに、あそこ、上の方に、主イエスは幻滅させないのだから希望は幻滅させないということをわきまえつつ、あちらに錨をおろしましょう。
 
(Traducción del italiano: Mariana Puebla -Radio Vaticano)

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