2014年1月24日金曜日

1月23日(木)、朝ミサ説教:兄弟を憎む人は、殺人を犯している

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〔①〕18章6―9節、19章1―7節
〔福〕マルコ3章7―12節

 キリスト者が、自分たちの共同体を分裂させ破壊する妬み、羨み、陰口に対して扉を閉ざすように。これは今朝、キリスト教一致祈祷週間の六日目に聖マルタの家で捧げられたミサの中でパパ・フランシスコに投げかけられた勧告です。

 パパの回想はこの日の第一朗読、若いダビデの勇気のおかげでペリシテ人に勝利したイスラエル人のことを語る所から始まった。勝利の喜びは早速、ゴリアテを殺したダビデをたたえる女たちを前に、サウル王の悲しみとやきもちに代わります。 「あの大勝利が王の心の中で敗北の体験へと変化し始めるのです」。これは、「嫉妬と羨みの虫けら」であるカインに起こったのと似たようなものをほのめかしています。「このようにわたしたちの心の中で嫉妬というのは働きます。これは悪い心の揺れであり、誰か兄弟か姉妹が自分に持っていないものを手にしていることに耐えられないのです」。「サウロは、あのイスラエルの娘たちがしていたようにこの勝利を祝って神をたたえる代わりに、自分の殻に閉じこもり、苦々しい想いに留まることを好みます」。「自分の感情を苦々しさのだしで料理するのです」。

 「嫉妬は人殺しへと人を導きます。羨みは人殺しへと人を導くのです。まさにこの扉が、嫉妬の扉が、悪魔が通ってこの世に入ってきた扉なのです。聖書は言っています。『悪魔の嫉妬によって世に悪が入り込んだのです』と。嫉妬と羨みはこうした悪いことすべてに扉を開くのです。また共同体を分裂させもします。キリスト者の共同体は、そのメンバー数人が嫉妬や羨みで苦しむ時、互いに分裂して終わります。これは猛毒です。これは聖書の最初の方のページにカインと共に見出される毒なのです」。

 嫉妬と羨みで打たれた人の心の中には「二つの明らかなこと」が生じます。一つ目は苦々しさです。

 妬みがちな人、羨みがちな人は苦々しさを持った人です。歌うことを知らず、たたえることを知らず、どんなことが喜びなのかを知らず、いつも『わたしが持っていない何をあの人は持っているのだろう』という目で見ます。そしてこれが苦々しさへと招くのです。全共同体に広まる苦々しさです。こうした人たちが、苦々しさの種を蒔く人々なのです。そして嫉妬と羨みから来る二つ目の態度は、陰口です。あの人が何か持っていることに耐えられないので、解決策として、自分がもう少し高いところにいられるように他の人を貶めるのです。そしてそのための道具が陰口なのです。これをいつも調べてみてください、噂話の裏に嫉妬があること、羨みがあることがわかりでしょう。そして陰口は共同体を分裂させ、共同体を崩壊させます。こうしたものが悪魔の武器なのです」。

 「うまくいっていた素晴らしいキリスト者の共同体のどれほどが」、一度嫉妬や羨みの虫けらが一人のメンバーに入り込むと、それと共に悲しみや悔しさ、陰口が入ってきたことを体験してきたでしょうか。「嫉妬や羨みの影響下にある人は」、使徒ヨハネが言っているように「殺すのです」。「自分の兄弟を憎む人は、殺人を犯しているのです」。そして「嫉妬深い人、羨みがちな人は、兄弟を憎み始めます」。

 「今日、このミサの中で、わたしたちのキリスト者共同体のために祈りましょう。この嫉妬の種がわたしたちの間に蒔かれることなく、羨みがわたしたちの心、わたしたちの共同体の心に場所を見出しませんように。そうすれば主の賛美をもって、主を賛美しながら、喜びながら前進することができるでしょう。それは大きな恵みで、悲しみや悔しさ、嫉妬や羨みに陥らないようにしてくれる恵みなのです」。
(RC-RV)

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