2014年1月7日火曜日

1月1日(水)、説教:世界平和の日、教皇、全世界の必要性を神の母に委ねる

 教皇は今朝、元旦の聖体祭儀を、神の母聖マリアの祭日と第47回世界平和の日の祝いの中で、サン・ピエトロ大聖堂でささげた。ローマでは、世界平和の日をきっかけに、聖エジディオ共同体が平和のための伝統的な行進を企画した。イベントは午前10時にコンチリアツィオーネ通りで始まり、教皇と共にお告げの祈りに参列するためにサン・ピエトロ広場まで続いた。参加者たちは平和についての大きな8つのプラカードと旗を見せた。

教皇フランシスコ、説教全文

 先ほど耳にした第一朗読は、わたしたちに、アロンとその息子たちに教えるようにと神がモーセに勧めた神の祝福の古いことばを改めて提案します。「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。 主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように」(民6章24-26節)。この祝福をいま一度、まさに新年の初めに聞くのはとても意味のあることです。この祝福が、今わたしたちを待ちうけている時の間、わたしたちの歩みに伴ってくださるでしょう。

 これは力と勇気、希望のことばです。人間的な壊れやすい約束を基いとした幻想的な希望ではなく、未来であるということだけでよりよい未来を想像する粗野な希望でもありません。この希望にはまさに神の祝福のうちにおいてその存在意義があります。その祝福にはあらゆる望みのうち最もよい望みが込められています。主の愛に満ちた守りと摂理的な助けにあふれた、わたしたち全員に対する教会の望みです。

 この祝福に込められた望みは一人の女性、マリアにおいて完全に実現されました。神の母となるように定められたからです。そしてそれは他のどの被造物にも先立って彼女において実現されたのです。

 神の母。これはおとめマリアの基本的で本質的な肩書きです。それは質であり、役割です。これをキリスト教の民の信仰は、わたしたちの天の母への、その穏やかで真正な信心において、いつも体験してきました。

 エフェソ公会議という、古代教会史のあの大いなる瞬間を思い起こしましょう。そこで権威をもっておとめの神に携わる母性が定められたのです。マリアの神に携わる母性についての真理は、ローマにおいてこだまし、その少し後に、ローマ及び全西欧の最初のマリア聖地である、サンタ・マリア・「マッジョーレ」大聖堂が建立されました。そこでは神の母、つまりテオトコスの像が、「ローマの民の救い」という肩書で崇拝されています。 言われていることによれば、公会議の間、エフェソの住民は司教たちが集まっていた大聖堂の扉の両側に集まり、「神の母!」と叫んだそうです。信者たちは、公的にこのマリアの肩書が定められることを願い、すでにその神に携わる母性を認めていることを表明したのです。それはその母を計り知れないやさしさをもって愛しているがゆえに、その母をよく見分ける息子たち、娘たちの自発的で誠実な態度です。

 しかし、これに留まりません。それは神の民の信仰の感覚(sensus fidei)なのです。それはこの一致において、決して誤ることがないものなのです。

 マリアは、ずっと前から、心の中に、信心の中に、そして何よりも、キリスト者の民の信仰の歩みの中に、いつもいます。「教会は、・・・時を歩み・・・ます。しかし、後述のように、・・・かつておとめマリアが信仰の旅路を進(んだ)・・・その道筋に沿って進んでいます」(ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の母』2)、そしてだからこそマリアを特別にわたしたちに近い方と感じるのです。信仰に関することでは、キリスト者の生活の支柱なのですが、神の母はわたしたちの人としての状況を分かち合い、わたしたちが巡り歩く同じ道を歩まねばならず、時にはそれは困難に満ち、暗く、「信仰の巡礼の旅路」を進まなければなりませんでした(第二バチカン公会議、エキュメニズムに関する教令LG58)。

 わたしたちの信仰の歩みは、イエスが十字架で息絶え絶えになりながら、「これがあなたの母です」と言ってマリアをわたしたちに母としてくださった(ヨハ19章27節)瞬間からマリアと分かち得ない仕方で一つになって進められます。こうした言葉には遺言と同じ価値があり、そこで世界に一人の母を与えるのです。その瞬間から、神の母はわたしたちの母にもなったのです。弟子たちの信仰があまりの困難と不確実なことのために傷ついてしまったあの時間に、イエスは信じるということの第一人者であり、その信仰は決して弱まることのないあの女性を弟子たちに委ねたのです。そしてその「婦人」は神の子を失うその瞬間にわたしたちの母となるのです。そしてその傷ついた心は広げられ、善人も、悪人も、すべての人を受け入れ、イエスが愛するように彼らを愛するのです。ガリラヤのカナの婚礼でその信仰をもって世における神の偉大さの表明に参与した婦人は、カルワリオでその子の復活への信仰の炎を付けたまま保ち、その炎を他の人々に母としての愛情をもって伝えます。マリアはこうして、希望とまことの喜びの泉となるのです。

 贖い主の母はわたしたちに先立ち、たゆむことなくわたしたちの信仰や召命、使命を固めます。その謙遜と神の意志に応える心構えの模範をもって、わたしたちの信仰を喜ばしく国境なく福音の宣言へと言い換えるのを助けます。このようにしてわたしたちの宣教使命は実りあるものとなるでしょう。なぜならマリアの母性にその範をとっているからです。マリアにわたしたちの信仰の道のり、わたしたちの心の望み、わたしたちと全世界、特に正義、平和、神への飢えと渇きのあるところの必要を委ねます。そして全員で、エフェソの兄弟たちを真似してマリアに呼びかけましょう。ご一緒に三回、言いましょう。神の母聖マリア!神の母聖マリア!神の母聖マリア!アーメン。

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