2014年1月24日金曜日

1月12日(日)、洗礼式の説教


イエスは洗礼を受ける必要がありませんでしたが、初期の神学者たちは、その体をもって、その神性をもって、自らの洗礼においてあらゆる水を祝福したと言っています。そうして水が洗礼を授ける力を持つように、と。そして、天に昇っていく前に、イエスはわたしたちに、世界じゅうに行って洗礼を授けるようにと頼みました。そしてあの日から今日という日まで、このことは途絶えたことのない連鎖となりました。子どもたちに洗礼を授け、子どもたちがその子どもたちに、そしてその子どもたちが…と。そして今日も、この連鎖が続けられます。

 この子どもたちは、鎖の輪です。あなたたち親は子どもを洗礼のために連れてきましたが、何年か後で、彼らがその子供、あるいは孫を洗礼のために連れてくるでしょう。これが信仰の連鎖です。このことは何を言わんとしているのでしょうか?皆さんにこのことだけ言いたいと思います。皆さんが信仰を伝えるのだ、皆さんが伝達者なのだ、ということです。皆さんにはこの子どもたちに信仰を伝達する義務があるのです。これは皆さんが彼らに残す財産のうち最も美しいものです。信仰です。これだけです。今日この考えを家に持ち帰りなさい。わたしたちは信仰の伝達者にならなければならないのです。このことを考えなさい。子どもたちにどうやって信仰を伝達しようかと、いつも考えなさい。

 今日、合唱団が歌います。けれど一番美しい合唱は、この子どもたちがしているこの、騒音を立てている子どもたちの声です。泣く子もいるでしょう。心地がよくないとか、お腹がすいているから、という理由で。お母さんたち、食べさせてあげなさい。落ち着いて。なぜなら彼らがここでは主役だからです。では、この信仰の伝達者であるという意識を持って、洗礼式を続けましょう。

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