2013年11月18日月曜日

11月16日(土)、朝ミサ説教:神は人間の祈りに弱い


 人の祈りが神の弱み。11月16日土曜日の聖マルタの家の小聖堂で捧げられた朝ミサの時に教皇が語った言葉である。この機会にサン・ピエトロ大聖堂で開かれた教会法学者の総会参加者たちが参加し、共同司式には首席司祭のアンジェル・コマスツリ枢機卿の姿もあった。

 パパはその説教で悪い裁判官に執拗に正義を執行してもらうようにと一人のやもめが願うたとえ話を語りながら、たゆまず祈るようにとイエスが招く福音書の個所を中心にした。このように、フランシスコは語った。エジプトを出たモーセに率いられたイスラエルに生じたように、「神は自分にむかって昼も夜も叫ぶ選ばれた人々に、正義を示しますし、これからも示すでしょう」。

 「モーセが嘆願する時にこう言います。『わたしは民の泣き声、嘆きを感じた』。主は耳を傾けます。先ほど聞いた第一朗読では 主がなさったことを聞きます。その全能のみ言葉がなさったことです。『天から執念深い戦士のようにやってくる』と。主がその民を守ろうとするとき、そうなさるのです。神は執念深い戦士のようで、その民を救うのです。救い、すべてを新しくします。『全被造物は昔元々あったように改めて形を整えられる』。『紅海は障害のない道に姿を変える・・・あなたの御手が守っていた人々は、民全体こぞって通り過ぎた』」。

 「主は、その民の祈りに耳を傾けました。なぜならその心の中で選んだ人々が苦しんでいたのを感じたからです」。そして力強い仕方で彼らを救う。

 「これが神の力です。では人々の力は何でしょう?人の力は何ですか?それはやもめの持っていたものです。神の心に呼びかけること。呼びかけ、願い、多くの問題や痛みについて嘆き、主にこの痛みからの解放、この罪からの解放、この問題からの解放を求めることです。人の力は祈りであり、謙遜な人の祈りは神の弱みでもあります。主はこの時だけ弱いのです。その民の祈りについては弱いのです」。

 「神の力、神の救いの頂点は、み言葉の受肉にあります」。そしてサン・ピエトロの教会法学者に向かって言った。「皆さんの仕事はまさに神の心に呼びかけることです」「祈ること、神の民のために主に祈ることです」。そして「まさに教皇に一番近い大聖堂であるサン・ピエトロの教会法学者の皆さん」、そこには世界のあらゆる祈りが届き、この祈りを拾い上げ、主に差し出すのです。「これは普遍的・宇宙的な奉仕です。教会の奉仕です」。

 「皆さんはやもめのようです。祈ること、願うこと、神の心に呼びかけること、毎日毎日。そしてやもめはこれをしていたときに決してうとうとしませんでした。勇気がありました。そして主はその民の祈りに耳を傾けるのです。皆さんは教会、人類、すべての人が必要としている多くのことのために主に祈るこの務めのうちに神の民の代表者となった特別な人々なのです。皆さんの仕事に感謝しています。神がすべてを変えたいと思う時には、神が力を持っておられることを思い出しましょう。『すべては新たに形を変えられる』と言っています。神は改めてすべてのものの形を整えることのできる方ですが、同時に弱みもあります。私達の祈りです。サン・ピエトロでパパに近い普遍的な祈りです。この奉仕に感謝します。教会の善のためにそうやって前進し続けてください」。

(María Fernanda Bernasconi – RV).

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