2014年4月16日水曜日

4月11日(金)、朝ミサ説教:悪魔は21世紀の今も働いている。聖書からどのようにこれに対抗するか学ぼう

朗読箇所:エレミヤ20章10-13節/ヨハネ10章31-42節

 福音から、悪魔の誘惑に対抗して戦うことを学びましょう。これは聖マルタの家の小聖堂でささげられた朝ミサの説教でパパ・フランシスコが語ったことである。教皇は、わたしたちはだれもが誘惑を受けることを強調した。なぜなら悪魔はわたしたちの聖性を望まないからである。そしてキリスト者の生活は、まさに、悪に対する戦いである、と再確認した。

「イエスの人生は、一つの戦いでした。悪に打ち勝つため、この世の王子に打ち勝つため、悪魔に打ち勝つために来たのです」。この言葉をもって、パパは悪魔に対抗する戦いに全くささげられたその説教を始めた。すべてのキリスト者が直面しなければならない戦いです。悪魔は「イエスを何度も誘惑しました。イエスはその人生において誘惑を感じたのです」。これはちょうど「迫害のようでもあります」。同時に、「イエスに従いたいと望んでいる」わたしたちキリスト者は、「この真理をよく知らなければなりません」と忠告した。

「わたしたちも誘惑されています。わたしたちも悪魔の攻撃の標的なのです。なぜなら悪の精神はわたしたちの聖性を望まず、キリスト者の証しを望まず、わたしたちがイエスの弟子であるようなことを望まないからです。では、悪の精神はどのようにしてその誘惑をもってイエスの道からわたしたちを引き離すのでしょうか?悪魔の誘惑には三つの特徴があり、わたしたちは罠に陥らないためにこれらを知るべきです。悪魔はどのようにわたしたちをイエスの道から引き離すのでしょうか?誘惑は軽く始まり、成長します。いつも大きくなっていきます。二つ目は、育つと他の人に伝染します。ほかの人に伝えられ、共同体的であるようにするのです。そして最後に、魂を落ち着かせるために、正当化します。育ち、伝染し、正当化するのです」。

 イエスの最初の誘惑は、「ほぼ魅了の種を蒔いています」。悪魔はイエスに神殿から身を投げる湯に言います。そこで、誘惑者は、「すべての人は言うだろう、『ここにメシアがいる!』と」と支えます。これはアダムとエバにしたのと同じです。「これは魅了です」。悪魔は「まるで霊的教師であるかのように語ります」。そして誘惑が「拒絶される」と、そこで「育ちます。育って、より強くなるのです」。イエスは「ルカによる福音書においてこのことを語っています。悪魔が拒絶されると、そのあたりをめぐり、他の仲間たちを、こうした悪巧みグループのように見つけて、帰ってくるのです」。そういうわけで、「他の人にもこれを適用させながら育つのです」。そのようなことがイエスにも起こりました。「悪魔は」その敵たちに「適用していくのです」。そして「一筋の水に見えたものが、本当に小さく、静かな水の線に見えたものが、大きな渦になってしまうのです」。誘惑は「育ち、伝染します。そして最後に、自己正当化をします」。イエスが会堂で説教をするときに、すぐにその敵対者たちがイエスの影響力を弱めます。「でも、こいつは大工ヨセフの子だ。マリアの子だ!大学に行ったことなんかないぞ!でも、何の権威で語ってるんだ?こいつは勉強しなかった!」。誘惑は、「他の人すべてがイエスに対立するように適用されました」。そして最も高次のもの、「正当化の一番強いものは、祭司のものです」。こう言います。「一人の男が」「民を」救うために「死んだ方がましだということを知らないのか?」

「育つ誘惑があります。育ち、他の人々に伝染する誘惑です。陰口について考えてみましょう。わたしはなんだかあの人のことがうらやましいなぁ、あっちの人も・・・。そして前は内側に、一人で抱えていた羨望ですが、他の人と分かち合わなければならない気分になり、他の人のところに行って、「でもねね、あの人、見た?」と言うようになります。・・・そして育とうとし、他の人、また別の人に、と伝染します・・・。けれどこれは陰口のメカニズムです。そしてわたしたちはだれもが陰口をするような誘惑を受けたことがあります!皆さんの中にはそういうことがない人もいるかもしれません。もし成人なら。でも、わたしだって陰口の誘惑にかられるのですよ!これは日々の誘惑です。こうやって、一筋の水脈のように、穏やかに始まります。伝染することで育ち、最後に、自己正当化をするのです」。

 「わたしたちの心の中に」人を「台無しにして終わりそうな何かを感じるとき」注意していましょう。「注意していましょう。なぜならもしその一筋の水を時間のあるうちに対処しなければ、育っていき、伝染していくときには、渦となって、こうした人々が自己正当化をして、『一人の男が民のために死んだ方がましだ』と言い切ったように、ただただわたしたちを悪の正当化にしか導かなくなるでしょう」。

「わたしたちはだれでも誘惑を受けます。なぜなら、わたしたちキリスト者の生き方の、霊的生活の法則は、戦いだからです。戦いなのです。なぜならこの世の王子、つまり悪魔は、わたしたちの聖性を望まず、わたしたちがキリストに従うのを望まないからです。 おそらく、皆さんの中には、知りませんが、『でも、神父さん、あなたは古すぎますね、21世紀にもなって悪魔についてお話しするなんて』と言う人もいるかもしれません。けれど、ごらんなさい、悪魔はいます!悪魔は、21世紀にも、います!そしてわたしたちは知識人のようにしているわけにはいかないのですよ、いいですか!悪魔に対抗して戦うためにどうすればいいかを、福音から学ばなkればならないのです」。

(María Fernanda Bernasconi – RV).

0 件のコメント:

コメントを投稿