2014年4月15日火曜日

4月3日(木)、朝ミサ説教:祈りは、心を変えてもらうための神との戦い


朗読箇所:出エジプト 32章7-14節/ヨハネ 5章31-47節 
 祈りとは、神とのファイトです。自由と粘り強さをもって、友人との誠実な対話としてのびのびと行わなければなりません。こうした祈りはわたしたちの心に変革をもたらします。なぜなら神は本当にどのような方であるかをわたしたちに知らしめてくれるからです。これは、聖マルタの家の小聖堂で祝われた朝ミサの説教でパパ・フランシスコが行ったことのまとめである。

 教皇はその説教を、シナイ山でのモーセと神との対話を中心にした。神はその民に罰を下そうとしています。なぜなら偶像を、金の牛を作ったからです。モーセは力強く種に祈ります。思い直してもらうようにと。「この祈りは神との本当のファイトです。民のトップが神の民であるその民を救うために行うファイトです」。

 そしてモーセは主を前にしてのびのびと語り、わたしたちに、恐れることなく、のびのびと、そして粘り強く、祈るすべをを教えてくれます。モーセは粘り強く訴えます。勇気があります。祈りも、「議論」を込めつつ、「神とやりとりをする」べきです。モーセは、ついに、神を納得させます。聖書はこう言います。「主はご自分の民に下すと告げた災いを思い直された」。そこでパパはこう尋ねた。「けれど、誰が誰を変えたのでしょうか?わたしが主を変えたのでしょうか?私はそうは思いません」。そして言った。

「変わったのはモーセです。なぜならモーセは主がこれをしてしまうだろうと信じ込んでいたからです。主が民を破壊してしまうと信じていたのです。それから主がどれほどその民に対してよい方であったかを思い起こしたのです。どのようにエジプトの奴隷状態から民を解放してくださり、約束をもって導いてくださったかを。そしてこうした議論をもって、神を説得しようとするのですが、このプロセスにおいて、その民の記憶を見出しなおし、神の憐みを見出すのです。モーセは、怖がっていました。神がこれを行ってしまうのではないかと恐れていたのです。最後には、山から下りてくるのですが、その時には心の中になにか偉大なものを抱いていました。わたしたちの神はあわれみ深い方だ、と。神はゆるすことのできるかただ、自らの決断に戻ってくださるかただ、神は父なのだ、と」。

 こうしたことはすべて、モーセのあずかり知るところでした。「けれど多少ぼんやりと知っていたことでした。そして祈りの中でこれに再開するわけです。これがわたしたちの心中で祈りが行うことです。わたしたちの心を変えるのです」。

「祈りはわたしたちの心を変えます。わたしたちに、わたしたちの神はどのような方であるかをよりよく理解できるようにしてくれます。けれどそのためには、主と語り合うことが必要です。むなしい言葉の羅列ではなく。イエスは言います。『異邦人がするようにくどくどと述べてはならない』と。だめです、それではだめです。現実のことをもって語るのです。『でも、主よ、ご覧下さい、わたしにはこんな問題があります。家族にこんなことが、わたしの息子との間に、こんなこと、あんなこと・・・。何をしたらいいでしょう?でも、ご覧下さい、このまま見過ごすなんてしないでください!』と。これこそが祈りです!けれどどれくらいの時間がこのために必要なのでしょう?そうです、時間がかかるのです」。

 それは友達をよく知るためにするのと同様に、神をよりよく知るために、必要な時間なのです。なぜならモーセは、聖書が語っていることですが、友と友とが語り合うかのように主と祈っていたのです。

「聖書はこう語っています。モーセは友人とするように、主と顔と顔を合わせて語った、と。祈りはこうでなければなりません。のびのびと、粘り強く、議論しながら。そしてまた、主を少し突っつきながら。『でも、あなたはこうしてくださると約束してくださったじゃないですか。でもこれは言いませんでしたよ…』と。こうした祈りに心を開くことです。モーセは力づけられて山から下りてきました。『主をもっとよく知った』のです。そして祈りがもたらしてくれたその力をもって、約束の地に民を率いていく仕事を再開するのです。なぜなら祈りは力づけるからです。力づけてくれます。主がわたしたち全員に恵みをくださいますように。なぜなら祈りことは、恵みだからです」。

「どの祈りにも、聖霊がいてくださいます」。「聖霊がいなければ祈りうことはできません」。わたしたちの中で祈っているのは、聖霊なのです。わたしたちの心を変えるのは、聖霊なのです。わたしたちが神に向かって「父よ」と呼ぶようにと教えているのは聖霊なのです。「聖霊が、神とやり取りをするために、精神ののびのびとした自由と、勇気をもって、そう、モーセが祈ったように祈ることを教えてくださるように、聖霊に願い求めましょう。そして、いつもわたしたちの祈りにおいていてくださる聖霊が、この道でわたしたちを率いてくださいますように」。
(María Fernanda Bernasconi – RV).

0 件のコメント:

コメントを投稿