2014年4月23日水曜日

4月21日(月)、天使の月曜日、天の元后の祈り:復活がわたしたちの心と生活を透明にしてくれますように。

使徒言行録:2章14、22-32節、マタイ:28章8-15節

 愛する兄弟姉妹の皆さん、おはよう!
復活祭おめでとう!
クリストス・アネスティ!アレートス・アネスティ!キリストは復活された!本当に復活された!わたしたちの間に、ここに、この広場の中におられます!この一週間の間、まるでたった一日のように、復活の祝辞を交し合い続けることができます。これは主が作ってくださった大いなる日なのですから。

 復活に関する福音的物語に輝いている支配的な感情は、驚きに満ちた喜びです。けれど大きな驚きです。しかし心のうちから湧き上がってくる喜びです。そして典礼において、わたしたちは「イエスは復活されました!わたしたちはイエスを見たのです」という 女性たちのもたらしたニュースによる弟子たちの心持を再体験します。

 この福音に刻まれた体験が、わたしたちの心にも刻まれ、わたしたちの生活の中で見られるようにしましょう。過ぎ越しの主日の歓喜に満ちた喜びが、わたしたちの考え、わたしたちのまなざし、態度、仕草、言葉の中に輝きますように。このように、わたしたちも輝けたらどれほど良いことか!けれどこれは化粧ではありません!内側から来るのです、主を失ったために泣き、復活された方を見ながら信じなかったマグダラのマリアのように、この喜びの泉に浸された心からくるのです。

 この体験をした人は、復活の証し人になります。なぜならある意味で、自分自身が復活したことになるからです。そこでこそ、さまざまな状況に復活の光の「光線」を運ぶことができるのです。幸せな人たちには、彼らをますます美しくし、利己主義から守りながら、痛みのうちにある人々には、落ち着きと希望をもたらしながら。

 今秋、福音書を手に取り、イエスの復活について語っている章を読むことはわたしたちに益となるでしょう。本を手に劣り、その章を捜し、その個所を読むことはわたしたちに実に益になるのです。

 また、この一週間わたしたちにとって益となるのは、イエスの母である、マリアの喜びについて考えることです。その魂を貫いたように、マリアの痛みはとても自分の内奥にあるものでした。同様に、その喜びも内奥にあり、深いものでした。そこから、弟子たちは得ることができたのです。すべてが過ぎてから、御子の死と復活の体験を通して、信仰において、我が子の復活が過ぎてから、神の愛の最高の表現として見、マリアの心は平和、慰め、希望、憐みの泉と化したのです。

 我らの聖母の主導権はすべてここから来ています。イエスの過ぎ越しへの参与から来ているのです。明日金曜日から明日、主日までである。彼女は希望を失いませんでした。彼女は希望を失いませんでした。マリアのことをわたしたちは痛みの母と呼んで観想してきました。彼女は、善弟子たちの母、教会の母、希望の光なのである、と。

 沈黙に満ちた証し(教会)には、イエスの死と復活がありましょう。どうぞ、わたしたちを喜びのうちにある復活をわたしたちに導きいれた覚えなどないからです。復活に、「お告げの祈り」の代わりに唱えられる「天の元后」の祈りをいたしましょう。


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