2013年10月31日木曜日

10月26日(土)、演説:信仰年イベント「家族、信仰の喜びを生きるもの」の巡礼者たちに向けて

家族(ファミリー)の皆さん、
こんばんは。そしてローマへようこそ!

 みなさんは世界じゅうの様々なところから聖ペトロの墓の前でその信仰を告白するために巡礼をしてここに到着しました。この広場が皆さんを抱きしめて迎えます。わたしたちはたった一つの民をなします。たった一つの魂で。わたしたちを愛し、わたしたちを見捨てない主に呼び集められて。テレビやインターネットでわたしたちにフォローしている全家族にも挨拶します。国境なく広がる広場です。

 皆さんはこの瞬間を「家族、信仰の喜びを生きるもの」 と呼びたいと望みました。わたしはこの名前が好きです。皆さんの体験や、話された人生の歩みを聞きました。多くの子供たちや高齢者の皆さんを見ました…。貧困と戦争のただ中で生きている家族の痛みを感じました。何千もの困難にも拘らず結婚しようと望んでいる青年たちに耳を傾けました。これらすべての真ん中で、自問いたしましょう。今日、家族で信仰の喜びを生きるにはどうすればいいのでしょうか?けれどさらに皆さんに尋ねます。この喜びを生きるのは可能でしょうか、可能ではないのでしょうか?

1.イエスの語ったいくつかの言葉があります。マタイ福音書にありますが、わたしたちを助けるために駆けつけてくれます。「誰でも疲れているもの、苦悩している者はわたしのところに来なさい。わたしが軽くしてあげよう」(マタイ11章28節)。人生はしばしば重々しく、多くの場合悲惨でもあります。先ほど聞いたばかりです…仕事をすれば疲れます。仕事を探すのは厳しい。しかも仕事を見出すのには、今は多大な努力が求められます。けれど人生でもっとも重くのしかかってくるのは、これではありません。こうしたあらゆることの中で一番つらいのは、愛の欠如です。笑顔をもらえないこと、いてほしいと思ってもらえないことは、きついものです。重苦しい沈黙もあります。しばしば家族の中でも、夫婦間でも、親子間でも、兄弟間でもあります。愛がないと困難はもっときついし、耐えられないものになります。一人暮らしの高齢者のことを考えています。家で特別に面倒見てもらう必要のある人を解放するために援助が得られないために辛い日々とを送る家族のことを考えています。「疲れているもの、苦悩ししている者たちは皆、わたしのもとに来なさい」こうイエスは言います。

 愛する家族の皆さん、主はわたしたちの困難を知っています。それを身にしみておられるのです!わたしたちの人生の辛さを知っています。けれど主はまたわたしたちの間に慰めの喜びを見出す深い望みがあることをも知っています。覚えていますか?イエスはこう言いました。「あなたたちの喜びが完全なものとなるように」(ヨハネ15章11節)。イエスはわたしたちの喜びが満ち満ちたものとなるようにと望んでいます。これを使徒たちに言いました。そしてわたしたちに、今日を生きるわたしたちに繰り返します。これがこの夕刻、皆さんと分かち合いたいと思った最初のことです。そしてそれはどれもイエスの言葉です。わたしのもとに来なさい、世界じゅうの家族の皆さん、とイエスは言います。わたしがあなたがたを軽くする。皆さんの喜びが満ち満ちたものとなるように。そしてこうしたイエスの言葉を家に持ち帰りなさい。心の中で持ち運びなさい。家族でこれを分かち合いなさい。イエスはご自分のところにわたしたちが赴き、ご自分をわたしたちに差し出し、すべての人々に喜びをもたらして下さいます。

2.次の言葉は、婚姻の儀からとります。結婚する人は秘跡においてこう言います。「わたしは順境においても、逆境においても、健康の時も、病気の時も、わたしの人生のあらゆる日々にあなたにいつも忠実でいて、あなたを愛し、あなたを尊重することを誓います」。夫婦はその時、どのようなことが起こるのかを知りません。どのような順境や逆境が待ち受けているかを知らないのです。歩み(行進)が始まります。アブラハムのような旅です。共に歩み始めるのです。そしてこれが婚姻なのです!行進し始めること、共に歩むこと、手を取り合って、主の大いなる手に信頼しながら。手を取り合って、いつも、全人生を通して!そしてわたしたちの人生を粉々にするその場限りのこの文化に流されないように。

 この神の忠実への信頼があれば恐れなく責任をもってあらゆることに立ち向かうことができます。キリスト者の夫婦はバカ正直ではありません。問題を知っており、人生の危険を知っています。けれど神と社会を前にして自分の責任を受けて立つのに物怖じしないのです。逃げることなく、孤立することなく、家族を作り子どもを世にもたらす使命を破棄することなく。でも、神父さん、今の時代では難しいんですよ…おっしゃる通り、難しいです。だからこそ恵みが必要なのです。秘跡がわたしたちにもたらす恵みが。秘跡は人生の飾りではありません。「いやしかしなんてきらきらした新婚さんでしょう、なんて素敵な結婚式、なんて盛大な披露宴!」と言いますが、それは秘跡ではありません。それは秘跡の恵みの部分ではないのです。それは飾りの部分です。そして恵みは人生を飾るものではなく、人生において力を与えるためのものなのです。わたしたちに勇気を与え、前進して歩んでゆける力をもたらすためのものなのです。孤立せず、いつも一緒に。キリスト者は秘跡を通して結婚します。なぜならこれが必要だと知っているからです。互いに一つであるため、また親としてのその使命を果たすために不可欠なのです。「順境においても、逆境においても、健康の時も、病気の時も」です。秘跡において夫婦はこう言いますし、結婚式で共に祈り、共同体と共に祈ります。なぜでしょうか?なぜそんな習慣があるのでしょうか?習慣ではありません。必要だからするのです。友に積み上げていかなければならない長い旅路に必要なのです。本の短い期間の旅行ではなく、全人生の間続く長い旅なのです!そしてイエスの助けを必要としています。信頼をもって互いに歩むため、今日も明日も互いに好きであり続けるために、日々ゆるし合うために。そしてこれは重要です。家族でゆるし合うことができること。なぜなら誰にも欠点があるからです。誰にも!しばしば良くないことをしますし、他の人を傷つけることもします。家族で間違いがあったらゆるしを求める勇気をもつこと・・・。数週間前にこの広場で、家族が前進していくためには三つの言葉があると語りました。繰り返したいと思います。「ちょっといい」、「ありがとう」、「ごめん」。三つのキーワードです!家族において尊重し合えるために許可を求めます。「これしてもいい?そういうことをしたいと思う?」と。許可を求める言葉づかいで。ありがとう、と言いましょう。愛に対して感謝しましょう。けれどどうなんですか。あなたの奥さんに対して、あなたの旦那さんに対して、一日に何回くらいありがとうと言いますか?この言葉を発音せずに過ぎてしまう日が何日あることでしょう、ありがとう、という言葉を言わずに!最後に、ごめん、です。誰もが間違いますし、しばしば家族や夫婦間で人を傷つけることがあります。そしてしばしば、皿が飛んだり、きつい言葉が交わされたりします。でもこの忠告を聞きなさい。平和に収めずに一日が終ることのないようにしなさい。家庭において日々新たにされる平和を!「ごめんなさい」。そうして新しくやり直すのです。ちょっといい、ありがとう、ごめん。一緒に言いましょうか?(はい!と会場から返事)。ちょっといい、ありがとう、ごめん!皆さん、家族でこの三つの言葉を使いましょう。日々ゆるし合うことを!

 家庭生活では素敵な時もたくさんあります。休みのとき、一緒にご飯を食べる時、講演や野原に出ていく時、おじいちゃんやおばあちゃんのところに行く時、病気の人を訪問する時…。けれどもし愛が足りなければ、喜びが足りなければ、祝いがなければ、イエスがいつもわたしたちにくれる愛がなければ…。イエスは涸れることのない泉です。そこで、彼が、秘跡において、そのみ言葉を与え、命のパンを下さり、わたしたちの喜びが満ち満ちたものになるようにしてくれるのです。

 結びにあたって、皆さんにはこの前のところに神殿でのイエスの奉献の御絵を見ることができます。とても美しく大切な御絵です。眺めましょう。そしてこの絵が何かの助けになるようにしましょう。皆さんと同様、このシーンの登場人物たちもその歩みをしました。マリアとヨゼフは歩みをはじめ、エルサレムに向かう巡礼者として、主の掟を成就するためです。同様に老人シメオンと、こちらも高齢の女預言者アンナが、聖霊に導かれて神殿にやって来ました。このシーンはわたしたちに三世代の出会いを示します。三世代の集い会合です。シメオンは幼子イエスをその腕に抱き、メシアであると認識し、アンナは神をたたえながら登場し、イスラエルのあがないを待ち望む人への救いを告げます。この二人の老人は記憶としての信仰を代表しています。そこでみなさんにお尋ねします。「皆さんは年寄りに耳を傾けますか?年寄りがわたしたちに伝える記憶に心を開きますか?」。年寄りは家庭の知恵です。民の知恵なのです。そして年寄りに耳を傾けない民は死滅する民です。年寄りに耳を傾けること!マリアとヨゼフはあらゆる約束の成就であるイエスがいることで聖化された家族です。どの家族も、ナザレの家庭と同じように、民の歴史の一部をなし、前の世代なくして存在することはありえないのです。だからこそ今日、高齢者と子供たちがいるのです。子どもたちはお年寄りの皆さん、前の世代から学ぶのです。

 愛する家族の皆さん、皆さんは神の民の一部をなします。この民と共に喜びをもって歩みなさい。いつでもイエスと一つになって留まりなさい。そしてすべての人にイエスの証しをしなさい。来てくれてありがとう。共に、困難の時にわたしたちに力を与え、これからも与え続ける聖ペトロの言葉をわたしたちのものにしましょう。「主よ、あなたの他に誰のところに行けばいいのですか?あなたは永遠の命の言葉をもっているのです」(ヨハネ6章68節)。キリストの恵みをもって、信仰の喜びを生きなさい。 主が皆さんを祝福し、わたしたちのお母さんであるマリアが皆さんを守り、皆さんと共に歩んでくださいますように。ありがとう。

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