2014年3月9日日曜日

教皇の胸元の袋の秘密

2014-03-07 Radio Vaticana

 パパ・フランシスコは胸のところに、ブエノス・アイレスの聴罪司祭であった老司祭のロザリオについていた十字架の入った袋を下げている。ヨハネ・パウロ二世がアルゼンチンの首都にいったときにヌンツィオの聴罪司祭を求めたのだが、それが彼であった。ローマ司教は教区の司祭たちとの四旬節を始めるにあたっての集会で、あわれみの恵みを強調しながら、自分の体験を語った。恵みは四旬節だけでなく、呼び求めなければならないものである、と、全教会において今は憐みの季節であることを指摘しながら語った。

「そこにはいつも人々の行列ができていました。聖体教会のところです。そのころ、わたしは管区の副管区長で管区センターに住んでいました。そして毎朝、早い時間に階段を下りて、何かファックスに届いていないかをチェックしていました。そして復活祭の朝に共同体の上長からのファックスを読みました。『昨日、復活徹夜祭の30分前に、アリスティ神父がなくなられました。享年94あるいは96歳。葬儀は某日になります…」。そして復活祭の朝は、復活祭に一般的にしていたように、老司祭たちの住居にいる司祭たちと昼食を食べに行かなければなりませんでした。そして、自分に言いました。昼食後、教会に行こう、と。それは大きな教会、とても大きな教会で、美しい地下空洞がありました。地下空洞に下り、そこにお棺がありましたが、他には二人の老女だけが祈っていただけで、一本の花すらありませんでした。私は思いました。でもこの人は、ブエノス・アイレスの全司祭の罪をゆるしてきて、わたしの罪もゆるしてくれて、一本の花もないとは…… 花屋に行き、というのは、ブエノス・アイレスでは、十字路をわたるとそこに花屋が並んでいるのです。そうして花を、バラの花を買いました。…… 戻って、お棺を、花を添えてキレイに準備し始めました。そこで、その手にロザリオがあるのを見たのです。… そこで、わたしに何かが起きたのです…だれでもうちに持つ泥棒って、あるでしょう?花を整えながら、ロザリオの十字架をつかみ、少し力を入れてこれをもぎ取りました(笑)。その瞬間神父さんを見て、こう言いました。「あなたの憐みの半分をください」。何か強いものを感じて、こうする勇気とこういう祈りをする勇気が与えられたのです!そしてそのあとで、その十字架をここに、この私の小さな袋(自分の胸のところを指さしながら)に入れました。そしてその日から今日まで、その十字架はいつも私と一緒にあります。そして誰かに対して悪い考えが生まれるとき(笑)、わたしの手はここに(自分の胸のところを指しながら)いつも向かうのです。そして恵みを感じるのです!(拍手)そのことはわたしが快く感じることです。
 
 あわれみ深い司祭の模範、傷に近づく司祭の模範がどれほど益になることか!もしこのことをよく考えると、皆さんは間違いなく多くの多くのこういった人を知っていると思います。なぜならイタリアの司祭たちはすばらしい司祭たちですから!みなさんはすばらしい司祭です。わたしはもしイタリアがこれほど強くあり続けるなら、わたしたち司教団よりも、司祭団のことを言っていますよ!本当に、でしょう?皆さんを慰めるために香をたくことはありません。これが何か私が感じていることです。

 あわれみ。天にいる多くの司祭たちのことを考え、この恵みを彼らに求めなさい! その信者たちに対して持っていたあの憐れみを皆さんにくれますように。そしてこうすることは益となります。

 静聴、どうもありがとう、ここにいてくれて、どうもありがとう。これであいさつに代えます。次はなんでしたっけ?あ、祈りでしたね。(笑)

 主のみ使いのお告げを受けて…
(CdM - RV)

0 件のコメント:

コメントを投稿