2014年2月26日水曜日

2月25日(火)、朝ミサ説教:神に近づきなさい、神は皆さんに近づきます


 難民キャンプの空腹の子どもたちと、武器製造者たちのパーティ会場での宴会。これが今朝聖マルタの家でのミサでパパ・フランシスコが思い起させた情景である。教皇の説教は平和への呼びかけ、家族として世界でのあらゆる戦争に反対する呼びかけであった。パパは平和が単なる「言葉」に留まってはならず、全キリスト者に、戦争のスキャンダルに「慣れてしま」わないようにと勧告した。

 皆さんの間にある喧嘩や口論はどこから来るのですか?と教皇は第一朗読の使徒ヤコブの手紙から着想を得て語り、あらゆる戦争への揺り動かす断罪をもちあげた。自分たちの間で誰が一番偉大であるかを見ようとしてイエスの弟子たちの間で生まれた口論についてコメントしながら、「心と心が離れる」時に「戦争が生まれる」ことを証明した。「毎日、新聞で、戦争を目にします。―苦しそうにしながら―そうした場所で、二人死んだ、五人死んだ」他の場所でもっと犠牲者が出た、と。

「そして死者はまるで日々の決算の一部になっているかのようです。わたしたちはこうしたことを読むのに慣れ親しんでしまっているのです!もし世界じゅうでこの瞬間にあるあらゆる戦争を引用する忍耐があるならば、何ページも何ページも埋まってしまうでしょう。まるで戦争の精神がわたしたちを支配してしまっているかのようです。あの大戦争の100周年を、何万もの死者を出したことの記念式典をするのです…。そしてだれもがスキャンダルを感じるのです!けれど、今日も同じことです!大戦争の代わりに、あらゆるところで、小さな戦争があります。ばらばらになった民があります。…自分の関心を保とうとするために殺人を犯し、互いに殺し合うのです」。

皆さんの間にある喧嘩や口論はどこから来るのですか?」教皇は繰り返した。「戦争、憎しみ、敵意は、市場で買ってくるものではありません。ここに、心の中にあるのです」。子どもの頃、要理の時間に「カインとアベルの話がなされた時、だれもがスキャンダルを感じた」。誰かが自分の兄弟を殺すなど、信じられなかったのです。けれど、今日、「兄弟同士、自分たちの間で殺し合っている人がごまんといます。けれどわたしたちは慣れ親しんでしまっています」。第一次世界大戦は、「スキャンダルになります、けれど大戦争でないなら、あらゆるところで少しずつある、少し隠れたそうした戦争はスキャンダルにならないのです。スキャンダルにならない!そしてほんの小さな土地のせいで、野心のため、憎しみのため、民族意識のために多くの人々が死んでいます。情念がわたしたちを戦争に、世の精神へと導くのです。

「また一般的に、対立を前にして、わたしたちは興味深い状況にまみえます。ぶつかり合いながら解決するために前進するということです。戦争の言葉づかいをもって。平和の言葉づかいが第一に来るわけではないのです!その結果はどうでしょう?難民キャンプにいておなかをすかせている子どもたちのことを考えなさい…。そのことだけ考えなさい。これが戦争の実りなのです!そしてもし望むならば、パーティ会場のことを思い描きなさい。武器を製造する、武器工場の経営者たちが催している宴会のことを考えなさい。武器(売買の結果)がそこに行きついているのです。難民キャンプの病気でおなかをすかしている子どもと、武器製造者たちの送っている大宴会や幸せな生活」。

 「わたしたちの心に何が生じますか?」教皇は繰り返した。使徒ヤコブは、単純な助言をわたしたちにくれます。「神に近づきなさい。そうすれば神があなたがたに近づいてくださいます」と。そういうわけで、「この神からわたしたちを引き離す戦争の精神は、わたしたちから遠くないのです」。「それはわたしたちの家の中にも」あるのです。

「どれほど多くの家族が、パパやママが平和の道を見出す能力に欠け、戦争を好み、きっかけとなって崩壊していることか…戦争は破壊するのです!『皆さんの間にある喧嘩や口論はどこから来るのですか?まさに自分たちの仲間の中でぶつかり合う情念、心からではないのですか?』今日、平和のために祈るようにと皆さんに提案します。その平和ということばは、どうもただのことば、それだけになってしまったかのようですが。このことばが実践する能力を持ちますように。『自分の悲惨さを認識しなさい!』という使徒ヤコブの助言に従いましょう」。

 あの悲惨さこそが、戦争のもとなのです。「家族のなかでの争い、近所の地区での争い、あらゆる所での争いです」。「ああいった情景をテレビで見て、新聞で読んで、涙を流して泣いた人はどれほどいるでしょうか?あんなにも死者が出ているのです」。使徒ヤコブが言うように「皆さんの喜びが嘆きに変わり、歓喜が悲しみになるように…」。これは、「今日、2月25日に、あらゆる所にある、多くの争いを前にして一キリスト者がしなければならないことです」。「泣くこと、嘆くこと、辱しめられること」。「主がこのことを理解させ、戦争のニュースに慣れ親しむことから救ってくださいますように」。  
(RC-RV)

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