2015年1月19日月曜日

1月16日:フィリピンにて、家族に向けて


黒字の部分は、英語、またはスペイン語で教皇が即興で付け加えた部分)


親愛なる家族のみなさん、
親愛なるキリストにおける友のみなさん、

 この夕刻に皆さんがいてくださること、そしてイエスとその教会のためのみなさんが持っている愛の証しに感謝します。家族と生命に関する司教評議会の長であるレイス司教、代表としての歓迎の言葉に感謝します。そして特に、証しをし、その信仰生活をわたしたちと分かち合ってくださった皆さんに、感謝します。

 聖書ではあまり聖ヨセフについて語られていませんが、語る際には、わたしたちにはヨセフが休んでいる姿が映ります。そこで夢の中で神の恵みを天使が啓示するのです。さきほど聞いたばかりの福音箇所では、わたしたちはヨセフが一度ならず、二度休んでいるのに気づきます。この夕刻、わたしは皆さん全員と一緒に主のうちに休み、家族について考えたいと思います。わたしは自分の家族のことを思い出しています。父のこと、母のこと、祖父母のことを(拍手)。今日、わたしは皆さんとともに憩います。家族の賜物について考えを巡らせたいと思います。



最初に、夢について何か言いたいことがあるんですが、わたしの英語は、あまりに、その、乏しくて(笑い)、もし許していただけるなら、マイスさんにお願いして、翻訳してもらって、わたしはスペイン語で話したいんですが(教皇、微笑む。人々、笑顔で拍手)。

わたしは、家族とともに夢見る、ということが大好きです。すべてのママとすべてのパパは、9か月の間、生まれてくる子供について夢見ました。本当ですかね、違いますか? どんな子が産まれてくるか夢見ました。夢見ることなしには、家族というのはあり得ません。家族が夢見る能力を失うとき、子どもたちは育たちません。愛は育ちません。いのちは弱まり、消えゆきます。(拍手)ですから、皆さんにお勧めするのは、夜に良心の究明をするときに、次のような問いもしてください。今日は、わたしは子どもたちの将来について夢見ただろうか、と。今日は、夫あるいは妻の愛とともに夢見ただろうか。今日、わたしの両親やおじいちゃん、おばあちゃんとともに、一つの歴史を実現していくことを夢見ただろうか。夢を見る、ということは、実に大切なことです。何よりもまず、家族の中で夢見ること。この夢見る能力を失わないでください。(拍手)そして、(マイク持ちの青年が帰ろうとしたので)ちょっと待って(人々の笑い)。(通訳者、「ごめん、僕のミスだ」)そしてまた、夫婦生活においてどれほどの困難が、もし夢のためのスペースを確保するなら解決することでしょう。もし伴侶について立ち止まって考え、善意について、持っている良いことについて夢見るなら。ですから日々の夢を通して愛を回復することはとても大切なのです。恋人同士であることを決してやめてはなりません!(大爆笑)それはとても大切なのです。


 ヨセフの休みは神の御旨をヨセフに啓示しました。この主のうちにある休息の瞬間に、というのはわたしたちは日々の多くの義務や活動から時間を取っているからですが、神はわたしたちにも語り掛けます。神はさきほど聞いたばかりの朗読のうちに、わたしたちの祈りや証しのうちに、わたしたちの心の静寂のうちに、わたしたちに語り掛けています。主がわたしたちに、特にこの夕方の福音の中で何を言っているかについて考えを巡らせましょう。この箇所にはわたしが皆さんに熟考していただきたい三つの局面があります。主のうちに憩うこと、イエスとマリアとともに起き上がること、そして預言的声となることです。

 主のうちに憩うこと。球速はわたしたちの心と体の健康にとって実に必要なものであり、しばしばわたしたちに据えられた多くの務めに対する義務を記憶するのは実に困難です。けれど球速はわたしたちの霊的健康にとっても本質的なものです。そこでわたしたちは神の声を聞き、神が何をわたしたちに求めておられるのかを理解することができます。ヨセフはイエスの養父、マリアの夫となるように選ばれました。キリスト者として、皆さんもヨセフ同様にイエスの家庭を成すように呼ばれています。皆さんは彼のために皆さんの心の中に、皆さんの家族の中に、皆さんの小教区に、皆さんの共同体に家庭を築きます。

 神の呼びかけを聞き、受け入れるため、イエスのための家庭を作るために、皆さんは主のうちに休息することができなければなりません。皆さんは毎日祈りのために時間を作らなければならない、ということです。けれど皆さんはこんなことをわたしに言うかもしれません。「教皇様、わたしは祈りたいのですが、あまりにしなければならない仕事があるのです!わたしは子どもたちの面倒を見なければなりません。家の雑用があります。寝ることも出来ないくらいに疲れています。」その通りでしょう。けれどもしわたしたちが祈らないならば、わたしたちは何よりも大切なことを知ることはありません。つまり、神のわたしたちに対する御旨です。そしてわたしたちのあらゆる活動や、あらゆる「占める事=ビジネス」にとって、祈りなしではとても少しのことしか達成しないのです。

 祈りにおける休息は、特に家族にとって重要です。家族の中でこそ、わたしたちはどのように祈るかをまず学ぶのです。忘れないでくださいね、家族が一緒に祈るとき、一緒に留まり続けるのです。(拍手)これは重要です。そこでわたしたちは神を知るようになり、信仰の男女へと育っていくようになり、教会と言う神のより大きな家族のメンバーとして自分たちを見るようになるのです。家族においてわたしたちはどのように愛し、ゆるし、閉鎖的で自己中心的ではなく寛大で開放的であることを学ぶのです。わたしたちは自分の必要性以上に、他の人に出会い、彼らとわたしたちの生活を分かち合うことを学ぶのです。これが、家族として祈ることがそれほど重要であるゆえんなのです! とても大切なのです。教会のための神の計画において家族がそれほどまで重要であることの所以なのです!主のうちに休み、祈る、家族で一緒に祈ること。
 

 また、とても個人的なことを言いたいと思います。わたしは聖ヨセフのことが大好きです。なぜならこの人は力強い男であり、沈黙の男だからです。わたしのデスクには、眠っている聖ヨセフの像があります(両手を合わせて右ほほにつけ、頭を傾けながら眠るジェスチャーをしつつ)。そして眠りながら、教会を守っているんです。そうです、彼にはこれができるんです。わたしたちには無理ですが。そして問題や困難があるときに、小さな紙片にそれを書いて、その聖ヨセフの像の下に置きます。それを夢見てもらうためです。(大爆笑)これは、これが意味するのは、その問題のために祈ってもらうため、ということです。

 次いで、イエスとマリアとともに起き上がることです。休息、祈りのうちに主とともに休むというその貴重な時間は、わたしたちがいつまでも続いてほしいと望む瞬間です。けれど聖ヨセフのように、神の声を聞いたら、わたしたちは自分たちのまどろみから起き上がらなければなりません。わたしたちは起き上がって行動しなければならないのです(ロマ1311節参照)。家族として、起き上がって行動するのです。信仰はわたしたちを世界から移動させることはなく、わたしたちをそのより深くに引き込むのです。これは恐ろしいことです。わたしたちは世界のより深くに入って行かなければならないのです。けれど祈りの力をもって、です。わたしたち一人ひとり、実際、わたしたちの世界における神の国の到来のために準備する中で特別な役割を持っているのです。

 まさに聖家族の賜物が聖ヨセフに託されていた通り、家族の賜物と神の計画におけるその場はわたしたちに託されています(人々をぐるっと指さしながら)。聖ヨセフにしたのと同様です。聖ヨセフは、聖家族にとってこれを前進させていくための神からのプレゼントでした。皆さん一人一人に、わたしたちにも、なぜならわたしも一家庭の子どもですから、わたしたちに前進させていくための神の計画が与えられています。主の天使はヨセフにイエスとマリアを脅かす危険を啓示し、強いて彼らをエジプトへ逃がし、のちにナザレに住まわせるようにしました。同様に、わたしたちの時代でも、神はわたしたちが家族を脅かす危険を認識し、傷つけないように守るためにわたしたちの上で呼びかけています。そして注意深くありなさい。新しい理念的な植民地支配に対して注意深くありなさい。理念的な植民地主義というものが存在するのです。それは家族を破壊しようと機会をうかがっています。それは夢や祈りや神との出会いや、神がわたしたちに与える使命から生まれるものではありません。それは外からやってきます。だからそれは植民地主義だ、と言われるのです。神がわたしたちに与える使命、家族の使命に伴う自由を失わないようにしましょう。わたしたちの国々が、歴史のある時点で、「だめだ」と言えるほどに成熟したように、どのような政治的植民地主義にも、そう言いましょう。家族としてわたしたちは、家族にのしかかるどのような理念的な植民地主義にも「だめだ」と言えるように、とってもとっても聡明に、とても器用に、とても強くならなければなりません。そして、聖ヨセフに願うことです、天使の友人ですから。聖ヨセフに、わたしたちにいつ「よし!」と言い、いつ「だめだ!」と言うべきかを知るインスピレーションを送ってもらうように願うのです。(拍手)

 今日の家族での生活における圧力は多くあります。ここフィリピンでは、数えきれないほどの家族が自然災害の影響で苦しみ続けています。経済状況は移民と雇用探しによる家族の分裂を生み出し、財政問題は多くの家族を緊張させています。さらにその中でもあまりに多くの人々が直接貧困を体験し、他の人々は家庭生活やキリスト教道徳のもっとも基本的な掟を破壊するような物質主義と生活様式にとらわれています。それが、理念的植民地主義というものです。また家族は結婚の本質的な組成を再定義しようとする人々の成長しつつある努力や、相対主義、その場しのぎの文化、命への開きの不足によって脅かされています。(拍手)
 

 パウロ六世のことを考えています。世界人口の増大に関して問い詰められた時、家族のいのちにたいする開きを守る勇気をもっていました。(拍手)彼はそれぞれの家族にあった困難について知っていました。だからその回勅の中で、彼はそれぞれのケースに対してとてもあわれみ深く語りました。そして聴罪司祭たちに、それぞれの具体的なケースに対して、理解ある人、あわれみ深い人であるようにと頼みました。けれど彼はさらに遠くを見ていました。彼は地上の民を見ていたのです。彼は子どもたちの喪失による家族の破壊を見ていたのです。パウロ六世は勇敢でした。そしてよい牧者でした。そしてその羊たちに、やってこようとしていた狼について警告をしました。彼が天国からこの夕刻に、皆さんを祝福してくれますように。(拍手)

 わたしたちの現代世界はこうした脅威を乗り越えるために善良で強力な家族を必要としています!フィリピンは神の計画における家族の美と真理を守り、他の家族にとって支えと模範となるために、聖なる愛に満ちた家族を求めています。家族に対する脅威はすべて社会自体への脅威でもあります。人類の未来は、聖ヨハネ・パウロがしばしば言っていたように、家族を通ってきます(『ファミリアーリス・コンソルツィオ』85参照)。未来が、家族を通るのです。(拍手)ですから、皆さんの家族を守りなさい! 皆さんの家族を守りなさい。その中に国のもっともすばらしい宝を見、いつも祈りと諸秘跡の恵みによって培いなさい。家族はいつもその問題を抱えるでしょうけれど、あなたたちがそれに問題を加えないようにしなさい! その代わりに、愛とゆるしとケアの生きた模範となりなさい。受胎から自然死までの人のいのちすべての聖性を告げながら、いのちへの尊重の聖地となりなさい。(拍手)もしあらゆるキリスト者の家族がその高貴な召し出しを完全に生きるなら、社会にとってどれほどの賜物となることでしょう! ですからイエスとマリアとともに起き上がり、皆さん一人ひとりのために主が敷いてくださる道を歩き始めなさい。

 最後に、わたしたちが耳にした福音は、共同体のただなかで預言的な声となるわたしたちキリスト者の義務を思い起させます。ヨセフは主の天使に耳を傾け、イエスとマリアの面倒を見るという神の呼びかけに応答しました。このようにしてヨセフは神の計画における自分の役割を演じ、聖家族にとってのみならず、全人類にとっての祝福となりました。マリアとともに、ヨセフは少年イエスにとっての模範として奉仕し、イエスはそこで知恵と年齢と恵みにおいて成長することになったのです(ルカ252節参照)。家族が子どもたちを世界に送り込み、彼らを信仰と健康的な価値観において訓練し、彼らに社会に貢献するようにと教えるとき、彼らはわたしたちの世界において祝福となります。家族が社会において祝福となることができるのです。(拍手)神の愛が、わたしたちが愛する仕方で、またわたしたちが行う良い働きによって、現実のものとなり、発動するのです。わたしたちはこの世界でキリストの国を広めることになるのです。そしてこれを行う中で、わたしたちは洗礼において受けた預言的使命に対する忠誠を証しするのです。

 皆さんの司教たちが「貧しい人のための年」と定めたこの一年の間、わたしたちは皆さんに、家族として、イエスの宣教にある弟子となる呼びかけに特に気を遣うようにと願います。これは自分の家庭を越えて行き、より必要に迫られている兄弟姉妹のためのケアをする心構えを持つ、ということです。特に自分の家族のない人たち、具体的には高齢者の方々や親のいない子供たちに配慮を示してください。彼らが孤立したり、孤独になったり、見捨てられていると感じたりしないようにし、神は彼らを忘れなかったということを知ることができるように助けてください。今日、わたしの心はミサの後で最高に揺さぶられました。子どもたちの孤児院を訪れたときです。どれほどの人が教会で、この孤児院が家族となるために働いていることか。これは、預言的に家族とは何を意味するのかを運んでいることなのです。皆さんは物質的には貧しいかもしれませんが、皆さんが教会とその教会共同体にささげるとき、差し出す賜物はあふれんばかりのものとなるのです。自分の信仰を隠さないでください。イエスを隠さないでください。世界にイエスを持ち運び、あなたの家族の生活の証しを差し出してください!

 キリストにおける友のみなさん、わたしが皆さんのためにいつも祈っていることを知ってください! わたしは今日、家族のために祈っています。(拍手)本当で、わたしは祈っています。わたしは主が、あなたがたの主への愛を深め続け、この愛が互いのため、また教会のためにあなたがたの愛のうちに自らを示してくださるようにと祈っています。イエスが眠る姿を忘れないでください。ヨセフが眠る姿を忘れないでください。イエスはヨセフの守りの腕の中で眠っています。家族で祈りにおいて休息することを忘れないでください。家族のための祈りを忘れないでください。よく祈り、あなたがたの祈りの実りを世界にもたらし、そうしてすべての人々がイエス・キリストとその憐れみに満ちた愛を知るようになりますように。そして、わたしのためにも眠ってください、わたしのためにも祈ってください。わたしはほんとうに皆さんの祈りを必要としており、いつも皆さんの祈りに頼っているからです!

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