2014年6月23日月曜日

6月12日(木)、ビデオメッセージ:スポーツは平和の学び舎


 「このスポーツの祭典が、民と民の間での連帯になりますように」ブラジルでのワールドカップに合わせて、教皇はブラジルのテレビ局『Globo』のためにビデオメッセージを送り、報道された。

ビデオメッセージの教皇のことば

 愛する友達の皆さん、
 とても大きな喜びをもってこのブラジルにおける2014年ワールドカップを始めるにあたって、フットボール(サッカー)ファンの皆さん全員に言葉を向けます。企画側の皆さんと参加者、選手とファン、スタジアムとテレビやラジオ、インターネットを通して、この言語や文化、国籍の境を超えていくのを楽しみにしている皆さんに愛をこめて挨拶を送りたいと思います。
 わたしは、スポーツの祭典である以上に、このワールド企画が民と民との間の連帯の祭典となることができるようにと希望しています。このことは、しかしながら、フットボールの試合が、本質的にそうであるところのものであると捉えられることを推定しています。それは、ゲームであると同時に、対話、理解、互いに人間的に豊かにする機会である、ということです。スポーツはエンターテイメントの一形態であるだけでなく、わたしに言わせれば何よりも、人間の善を推進し、より平和で兄弟愛に満ちた社会を建設するのを助ける価値観を伝え合うための道具なのです。誠実さ、持続力、愛情、分かちあい、連帯について考えましょう。まさに、フィールドだkではなく、人生のあらゆる局面、さらに突き詰めれば平和建設において重要であることを示した多くの価値観や態度を呼び覚まします。スポーツは平和の学び舎です。わたしたちに平和を見瀬宇することを教えるのです。この意味で、わたしはスポーツの実践の三つの教えを取り上げたいと思います。「練習する」ことの必要性、「清いプレイ」、相手チームとの間での尊敬です。まず、スポーツは、勝つためには練習しなければならないことをわたしたちに教えます。このスポーツの実践は、人生の一つの類比として見ることができます。人生において、戦わなければならず、「練習し」、意味のある結果を得るために努力するべきなのです。スポーツの精神は、このようにして、人の性格を建設する諸徳において育つために必要な犠牲のイメージをわたしたちに送ります。もし一人の人がよりよくなるには厳しく継続的な「訓練」を必要とするならば、個々人と民と民とが「よりよく」対話と平和に至るために注がなければならない献身はより大きなものとなります。たくさん練習しなければならないのです…。
 フットボールは民と民との間で調和と平和に導く「出会いの文化」を作るための学び舎となりうるし、そうならなければならないのです。ここで、スポーツの二つ目の教えがわたしたちを助けてくれるでしょう。フットボールにおける「清いプレイ」がわたしたちに教えうるものを学びましょう。チームでプレイするためには、まず、自分自身のためではなく、グループの善について考えなければならないのです。勝つためには、個人主義や利己主義、あらゆる形での人種差別、不寛容と人間の道具化を乗り越えなければならないのです。そういうわけで、フットボールで「個人プレイ」に走るのは、チームの成功にとって妨げとなるのです。けれどもし人生においてわたしたちが「個人プレイ」に走ってわたしたちを取り巻く人々を無視するなら、社会全体に悪影響を及ぼすのです。
 平和建設のためにスポーツがわたしたちに教えてくれるもう一つの教えは、相手チームへの尊重の義務です。フィールド上での勝利の秘訣は、人生においてもそうですが、相手チームのメンバーも、仲間のチームのメンバーも尊重できることにあります。だれも一人で勝利するわけではありません、フィールド上でも、人生においても!だれも孤立したり除外されたりすることがないように!たとえこのワールドカップの最後にたった一つの国のチームだけが勝利者としてカップを掲げるにしても、スポーツがわたしたちに教えることを学びながら、わたしたちを結びつける絆によって強められて、全員が勝利者になるのです。
 愛する友達の皆さん、こうした言葉を皆さんに向ける機会を与えてくれてありがとうございます。特にジウマ・ルッセッフ大統領に感謝します。そして皆さん全員に満ち溢れるほどの天の祝福があるようにとわたしは祈ります。このワールドカップがたった一つの家族のメンバーとして自分を認める男女の間での相互尊重、連帯と兄弟愛からいつも、平穏と落ち着きをもって催されますように。ありがとう!
 

ER - RV

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