2013年9月16日月曜日

9月13日(金)、朝ミサ説教:舌を用いるのは、神を抹殺するためですか?

 9月13日(金)聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士(記)
          一テモ1・1-2、12-14
          ルカ6・39-42

 「隣人の悪口を言う人は自分の欠点を見る勇気のない偽善者です。聖マルタの家での金曜日の朝ミサでパパ・フランシスコはこう語った。教皇は陰口には「犯罪性の局面」が有ることを強調した。なぜならますます自分の兄弟達のことを悪く言うようになり、カインの他殺の行為をまねするからである。

 「なぜ兄弟の目にあるおがくずは目に留めるのに、自分の目にある丸太を見ないのか?」ローマ司教はいつの時代でも一人一人の良心を揺さぶるイエスによって立てられた問に端を発してその説教を発展させた。謙虚について語った後、イエスは正反対のことについて語る、という省察をした。「それは隣人を前にした憎むべき態度、兄弟の裁判官に成り代わるという態度です」。そこで、イエスは「強い表現をします。偽善者、と」と述べた。

「隣人を裁きながら、隣人の悪口を言いながら生きている人々は、偽善者です。なぜなら自分自身の欠点を見る力も勇気もないからです。このことについて主はいろいろな言葉を使ってわたしたちに語ります。その後で、更に先のところで、兄弟に対して心の中に少し憎しみを抱く人は殺人者であるとも言うことになります。・・・さらに使徒ヨハネは、その最初の手紙に於いて、はっきりと述べています。兄弟を憎む人は、暗闇の内に歩く、兄弟を裁く人は、暗闇の内に歩いている」と。

 わたしたちが「心の中で兄弟達を裁くとき、もっと悪い。他の人とこのことを言い合うとき、わたしたちは殺人者集団になります」。

「殺人キリスト者・・・わたしが言っていることではないですよ、主が仰るのです。そしてこの点に於いて、ヒントなどないのです。もしあなたが兄弟について悪く語るなら、あなたはその兄弟を殺しているのです。そしてわたしたちは、これをするたびに、人類の歴史で最初の殺人者、カインの行為をまねするのです」。

 教皇の見解によれば、戦争について語られ、平和がこれほどまでに求められている今の時代に於いて、「わたしたちの回心の行為が必要です」。「つぶやきは、いつもこの犯罪性の局面の上にあります。無垢な陰口など有りません」。使徒ヤコブの言葉を借りて、「舌は、神をたたえるためにあります。けれどわたしたちの舌を兄弟や姉妹のことを悪く言うために使うとき、神を殺すために使っていることになるのです」。「兄弟の内にある神の像を殺しているのです」。ある人は、陰口に値する人も居ると言うでしょう。けれど、そうあってはならないのです。

 「だったら、その人のために祈りなさいよ!その女性のために償いをしなさいよ!その後で、もし必要ならば、問題に対して対処できる人に話しに行きなさい。でも誰にでも話すものではありませんって!パウロはひどい罪人でした。そして自分自身について語っています。『以前は冒涜者、迫害者、暴力をふるう者でした。けれど憐れみを持って扱ってもらいました』。おそらく、わたしたちの誰も冒涜者ではないでしょう、おそらく。けれどもしわたしたちの内の誰かが小言を言うなら、その人が迫害者であり、暴力をふるう人であることは間違い有りません。わたしたちと、全教会のために願いましょう。陰口の犯罪性から愛、謙遜、おとなしさ、素直さ、隣人への寛大な愛へと回心する恵みを願いましょう。
(RC-RV)

1 件のコメント:

  1. 嫌な世相、隣国や移住者の陰口や排斥。ツイッターでの非難炎上。
    ブログもSNSも舌と同じで抹殺できる。

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