この意味で、パパはもう一度イエスはそのすべてがあわれみで、憐れみは罪や倫理の崩れ、精神的な悪といった「癌」 から人や世界をすくことのできる本当の力であるということを思い返した。愛だけがむなしさや心や歴史に悪が開くネガティブな淵を埋めることができるのである。
教皇はまた自分を「正しい」とみなして他者と、果ては神までをも裁く危険性について警鐘を鳴らした。なぜならそうした考えで、わたしたちは神が罪人を、赦す代わりに罰したり死に定めたりしなければならないと考えてしまうからである。「だから、父の家の外にい続けてしまう危険性に陥るのですよ!」とパパは叫んだ。そして「もし『目には目を、歯には歯を』の法律に従って生きるならば、悪のらせんから抜け出せないのです」と強調した。
そのあいさつのなかで、スペイン語で語りながら、パパ・ベルゴリオは昨日アルゼンチンで行われたブロチェロ神父の列福についても触れた。
「わたしはこの模範的な牧者の列福においてアルゼンチンの教会の喜びと心を一つにしたいと思います。ブロチェロ神父はロバの背中に乗って疲れを知ることなく自分の小教区の荒れた道をめぐり、家々を回って、神に導くべき者として委ねられた人々を探し続けました。キリストに、新しい福者の取り次ぎによって、ブロチェロ神父に見習って、十字架の前で跪きつつ、またあらゆるところで神の愛とあわれみの証しをしながら福音化の奉仕にその命を捧げる司祭を増やしてくださるように願い求めましょう」。
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